ながされて無職

無職になった50代女性一人暮らし。ずっと働かないわけじゃない。

無職、服を買う ー正気を失う瞬間ー

みなさん、買い物は好きですか。

「買い物するのがストレス発散!」という人もいますよね。

この前、美容院の人も言ってたな。「あー、好きっすねー。新しい物買うとうれしくなっちゃうんスよねー。この前、新しいブーツ買って、~うんちゃらかんちゃら・・・」

 

私はちょっと苦手です。

買い物、・・・したくない。

それは「お金がないから」という無職ならではの理由もあるのですが、お金があったとしても多分苦手。

買い物をすると「ものすごく疲れる」のです。特に疲れるのが「服を買う」こと。

  

本日は、「なぜ服を買うのに疲労困憊するのか」を考えたいと思います。

 

家電を買うときは疲れない

でも、服以外の買い物はそこまで疲れない。

例えば「冷蔵庫が壊れそう、買わなきゃ」という場合。

家電量販店へGo。いきなり店員さんをロックオン(実際は客の私がロックオンされている)。命中し店員さんが私のもとへ。

ステップ1:「①白②霜取り入らず③冷凍庫大きめ、お願いします!!」

ステップ2:店員さんがいくつか紹介してくれる

ステップ3:私はその中から一つを(値段が安いものを)チョイス

買い物終了です。

見事なスリーステップ、迷いなし。

 

まあ、この方法は店員さんにゆだねる分、向こうのおすすめに傾きがちというデメリットもあります。イイ「カモ」デスネ。

特に私はパソコン関連でこれをやるので、お値段ピンキリのなかでついつい高額商品を買わされる(その言い方は違う)。

その結果、「ほほう、このパソコンはえーやねえー、この操作勝手にやってくれるのか?」と、最新パソコン(買っちゃった)の使い勝手の良さに驚くことも多く、それなりに満足した結果になるのでした(パソコンへの苦手意識が節約意識を上回っているのだ。これなんとかしたい)。

服を買うときは

1.着る服があるのに買いに行く

「壊れそうな冷蔵庫やパソコン」と違うのはここ。

冷蔵庫が無い、パソコンが無いという状況は非常に困る。ゆえに「今」決めて購入しなければならないのだ。

しかし、着る服が一枚も無く購入しなければ寒くて死ぬ!という状況は、そうそうない。よって、そこには「必要性以外の目的」があるのでした。

  • もっとワタシを「きれいにかわいく」見せてくれる服があるはずだ!
  • もっと枚数があれば「あの人、いつもおっしゃれー」と周りから羨望の目で見つめられるのに!!
  • そういえば、あの雑誌でみた服!あれ(に似たもっと安い服)を着れば私もあのモデルさんと同じ感じになるわよね!!!

このように、その自意識は現実からはるか遠くに飛翔する。そして「もっともっと」の欲望はどれだけ満たしても尽きることがないのでした。

2.あちらの店こちらの店と探し回って、ついに発狂

このように満たされることのない欲望を胸に服を探すとどうなるか。

「奇跡の一枚(さらにもっとの精神で2~3枚)」に巡り逢うために、あちらこちらの店を駆けずり回ることになるのです。

これいいけどなんか違う、次の店行こ。これ襟がもっとすっきりしていればいいのに、次。これもっとウエスト絞ってあったらなあ、よし、もう一軒。

あれ、やっぱりない。ここもなんか違う。前の店のはどんなんだっけ、戻ろ。

やっぱり違う。これも違う。あれも違う。ない。ない。ない。うああああああああ!!!

3.疲労により、やけくそで購入

こうして発狂した後、どうなるのか。

走り回って体はへとへと。発狂して放心状態、頭はぼんやり。

・・・

たまたま手近にあった一枚を手に取り、ふらふらとレジへ向かう。

「・・・コレクダサイ・・・」

 

肉体的、精神的疲労は、判断力を確実に奪うのだ。

さらにこれだけの時間を費やしている、「もはや買わずして帰られるか」の精神も発動。

 

呆然自失として家に帰り、袋を開ければそこに入っているのは。

「コレ、ニタヨウナノ、モッテル・・・」

4.田舎から出てきた若かりし頃は、さらにひどかった

若いころは、今よりもっとひどかったよ。

田舎から都会へ出てきた私は、シティライフ(笑)へのあこがれに胸を膨らませ、張り切って一軒の美容室に入りました。当時30代前半。微笑む私の目の前にに置かれた雑誌は、なんと50代向けのものだったのですよ。愕然。

このままではいかん。せめて年相応でなくてはいかん。田舎者のままではいかん。せっかく都会に来たのだ。「きれいなおねえさん」として都会を闊歩しないといかんのだ!

(当時、「きれいなおねえさんは好きですか?」と言って女優さんが微笑んでターゲットを煽る、美容家電のコマーシャルが流行っていた。)

 

このように、いたくコンプレックスを刺激された私は、その後、服探しに夢中になったのでした。

おまけに体力もあった(今思うと驚くほどあった)。

そのため、休みの日になれば、服屋を文字通り朝から晩まで駆けずり回っていたのでした。もうへとへと。

 

当時の、コンプレックスからくる欲望に取りつかれて我を失っている自分が、いじらしく思えるよ。どうしようもなかったんだよねえ、アンタ。

今もたまに狂乱

1.年をとった今は

それでは、年をとりすっかり落ち着いた今、買い物で発狂することはなくなってのでしょうか。

それがですね、なんとたまに狂乱状態が発動するのですよ。

それもこれ、ネットの買い物でもやってしまうことに驚いた。

2.数か月前のネットでの買い物

それはいきなりやってきた。

「秋に着るちょうどいいブラウスがないなあ・・・」

でた!「ちょうどいい〇〇」ターゲットを絞り切れないものは無くてもいいことが多いのだ。それ去年も無くて良かったわけだし、アンタ今無職だし着ていく場所もないよね。

「就職したら着るもん。替えも必要だもん」

就職する気もないのに?

「気が変わるかもしれないし、いつかはするもん」

パソコンを開くと、服の山。

「これもいいがあれもいい。でももうちょっと若作りでないヤツで。次のページはどんなかな?」「もっと条件を絞ってみよう」

検索→Enter、検索→Enter、検索→Enter、Enter、Enter!Enter!・・・Enterああああああああああ!

 

数日後、手元に届いたブラウスは、なぜか避けていた暗い色。着て鏡の前に立てば、そこに映るのは、どんよりと闇に沈んでいきそうな高齢女性が一人・・・。

 

服を買わない方法は

このように、私の場合、「買い物→狂乱→後悔」という経過をとることがあまりにも多く、その過程で疲労困憊、服を買うことを苦痛に感じるのでした。

果たして服を買わずに済ませる方法はあるのでしょうか。

今、考えられる方法は3つ。

  • どこに置くのかを考える …これ以上、置き場所がない
  • 家計簿、通帳などを、激しく丁寧に眺める …買う余裕はないはずだ
  • 持っている服を片っ端から着る …こんなに持っていてこれ以上着てどこへ行くのだ

弱い、弱すぎる。

この3つの方法を、あの欲望は楽々と乗り越え襲い来るような気がする(時点で負けている)。ああ、だれか助けてー。

 

 

同様の苦痛にお悩みのみなさんの(ネットには「買い物が疲れる」という人が結構いるのだ)、健闘と心の平安を祈ります。