ながされて無職

無職になった50代女性一人暮らし。ずっと働かないわけじゃない。

50代無職、証明写真から得た教訓とは

みなさん、鏡を見ますか。

私は見ます。よく見ます。

 

アンタねえ、たいした顔もしていないのに「鏡を見てます」なんて言っちゃって恥ずかしいヤツ。ぷぷぷ。自分の顔見て今更どうしたいわけ?

問題は「顔の作り」ではない

そこのお若いみなさん。違うのです。

私の問題は「顔の作り」なんてところをすでに超えて、別の次元へ移ってしまっているのです。

 

ちなみに、幼少のころから私は、昭和の日本歌謡界にその名を馳せた、菅原洋一氏に似ていると言われ続けていました。大変声の良い歌手です(YouTubeで聞いて感動)。でも、幼いころはものすごくいやだったのですよ。「麻丘めぐみちゃんだったらいいのになあ。」

興味のある方は、ぜひ、「菅原洋一 画像」で検索してね!

顔の系統でいえば、今なら雨上がり決死隊のホトちゃんかな。

今の私は、「顔の作り」だけでいうならば、ホトちゃんの髪を伸ばしうんと老けさせた感じです!

 

しかし、重ねて言いますが、問題はその「顔の作り」ではなく別のところにあるのです(こんな言い方になってごめんなさい。ホトちゃん好きなのよ)。

証明写真を撮りに行きました

1.人が撮ってくれる写真店へ

その日も、無職で就職活動中。

「前の写真もなくなったな(転職しすぎて)。そろそろ新しい写真を履歴書用にとっておくか」

ここで私は、街角にあるスピード証明写真機(カーテンざざーのあれ)ではなく、人が撮ってくれる写真店にいくことにしました。なぜなら、ネットに「履歴書で、仕上がりにこだわって撮られている写真からは、誠意が伝わってきます」などと書かれていたから。

「わかりました。お見せしましょう。50代私の就職に向けた誠意を!」

 

ということで、街の写真店へ行くことにしました。

商業施設の中にある大手チェーンの写真店。

店員さんに促されて椅子に座ります。ライトぴかぴか、設備いろいろ、やっぱスピード写真とは違うねえ。横の鏡をみて顔の表情を作り、前に向きなおってカメラを見つめます。

顔の傾きやあごの位置など、指示を受けつつ何枚も写真を撮りました。

「そうです。もっと口角を上げてみてください。いいですね!」

終了。

 

写真が仕上がるのを待ちます。どきどき。

名前を呼ばれ、「ご確認ください」と言われて目にしたそれは・・・。

2.証明写真のできばえは

そこに写っていたのは、ものすごく、ものすごーく「不機嫌な高齢女性」だったのです。怖い。この人怖すぎる。

 

店員さんはてきぱきと写真を袋にしまい、CD-R(データが入っている)を一緒にして私に渡し「〇千円です」と淡々とした対応。

私は動揺していました。本当なら、写真を見せられた時にもう一度取り直しをお願いしたほうが良かったのかもしれません。でも私はものすごく動揺していたのです。

お金を払い、よろよろとおぼつかない足取りで写真店を後にしました。

 

3.動揺した理由

家へ帰り、ぼんやりしながらCD-Rにハサミを入れました。ここからデータを取り出すことはない。

 

ショックを受けたのは「不機嫌な高齢女性」が写っていたことではありません。なぜならその人鏡でよく見たことがあるから。気を抜くと鏡にそやつが写っており、ぎょっとなってあわてて微笑み修正するのです。

ショックなのは、初めて会った写真店の店員さんが、「この人のめいいっぱいはこの状態でよし」と思ったこと。つまり、一般の人には「不機嫌な高齢女性」が私の顔の最上級なのです。

確かにあのとき「口角を上げて」と言われました。私は上げたつもり。それであの仕上がりなら、店員さんが「これがこの人なのね」と思うのも無理はない。

ああ、「不機嫌な高齢女性」確定。私、その状態でこれからずっと生きていくのかしら。がっかり。

 

しかし、この写真が貼られた履歴書を手にした面接官はどう思うのでしょうか。

「え?この人と一緒に仕事するの?ものすごーく不機嫌そう。毎日この人とつきあうのかあ。50代だし周りのみんな、気を使っちゃうだろうな。うまくやっていけるのか?」

私ならこの人採らない。今いる大切な職員をこの不機嫌さから守るために。

 

ああ、悲しい。

私はただ普通にそこにいるだけで、不機嫌な人として周りに暗い空気を放っているのです。

 

・・・とりあえず、・・・寝よう。

結局スピード写真機で撮りました

1.スピード写真機の写真のできばえは

一晩眠り、幾分冷静さを取り戻した私は、再びスーツを着て家を出ました。

そして今度はスピード写真機の箱に入りました。

ここでは、誰の目を気にすることもなく思う存分表情を工夫できます。撮り直しもできます。

私は、時間を使い、工夫を凝らして表情をつくり、シャッターが下りるのを待ちました。そのいくつかの写真データから一つを選び、箱の外で仕上がりを1分待ちました。

出てきたそこに写っていたのは、写真店のものよりは幾分のっぺりとした「のほほんとした気のよさそうな高齢女性」でした。

私は、大いに満足し、温かい気持ちになって家へ帰ったのでした。

2.思った以上に笑っても、まだ「ふつう」

スピード写真機の箱の中で思ったのは、「こちらが思うよりはるかにおおげさに笑わないといけないのだな」ということ。

「就職写真だし、真面目に撮らないと」といった遠慮は、無用どころか邪魔。

「こいつふざけてんのか、と思われるかしら」くらい笑って、ようやくやわらかい表情になる程度。ご安心を。

落ちゆく筋肉、地球の重力の強さに脱帽。

心にいつも菅原洋一

鏡をのぞく私を嗤う若者たちよ。おわかりいただけただろうか。

「顔の作り」を悩んだりどうこうしたりしようと鏡を見ているのではない。

周囲の人に「不機嫌さ」を振りまき不快な思いをさせることの無いよう、せめてとっつきやすい人としてそこにいるために、日々重力と戦いつつ顔を工夫するために鏡を見るのであるよ。

 

みなさん。ここでもう一度、菅原洋一画像の検索画面をを見てほしい。

そこにある「若い菅原洋一」と「年齢を重ねた菅原洋一」のどちらが魅力的に見えるだろうか。

そう!「年齢を重ねた菅原洋一」はものすごーく素敵なのです。ダンディなのです。

穏やかな微笑み。慈愛に満ちた深いまなざし。すべてを受け入れ包み込むオーラ。

 

そうなのだ!

私が目指すべきは「菅原洋一」だったのだ!石田ゆり子(ぷぷぷ。)ではなかったのだ!

 

これからも幾度となく、私は菅原洋一画像を見つめる。

そして鏡の中の自分に問うであろう。

「ちゃんと菅原洋一に似ている?」と。

 

 

それではみなさん、ごきげんよう

(もう、今日は洋一でおなかいっぱい)