ながされて無職

無職になった50代女性一人暮らし。ずっと働かないわけじゃない。

無職3年目の生活は?

ひたすら貯蓄を切り崩しているよ~

↑この文章(青字の)、もう、書いているだけで震えあがるよね。

よく正気を保っているもんだと、自分でも感心しますわ。

まる3年間収入はすがすがしくもゼロ、働いていた時の貯蓄をちみちみと切り崩して生活しています。

 

といいますか、無職になって、実はいくつか大胆に出費をしているのですよ。

うひょー!

このヒト、大丈夫? ちょっとオカシイんでないの?

気になる大きな出費に関しておいおい書くことにします。

震えながら待っててね(こわいですよ~)。

 

 

生活環境はかわらず

50代女性、一人暮らし。

住まいも変わらず、16平米狭小ワンルーム、家賃39000円。

満足して暮らしています。

3点ユニット、テレビなし。電車の轟音ももはや日常。

無職になる前に引っ越ししておいて本当によかったな。

前の住まい家賃72000円とは、お金の減りがまるで違うので。

 

 

無職生活のしあわせ

蓄えが減っていくことを除けば、たいへんに心穏やかな生活を送っています。

というよりも、しあわせをかみしめて生きているというのが正直なところ。

朝、無理に起きなくてもいいとき。

外を見ながらコーヒーを飲むとき。

気が向けば出かけ、疲れたらすぐに帰るとき。

しみじみ、「働いていなくてよかったなー」と。

 

一番しあわせなのが、何をしていても、次の日の心配がないこと。

「明日、あの仕事あるからやだなー」

「仕事の準備、あれとこれとしなきゃなー」

といった、仕事のことが引っかかっていて気持ちが常にギザギザしている、という状況から解放されているのです。

 

この生活が一生続けばこれほどしあわせなことはないでしょう。

(はい、続かない)

 

無能な自分が許せなかった

私は転職歴が多いです。

転職を何回しても、「持ち帰り仕事あり、追われるように知識の更新をしなければならない、サービス業ならではの相手に対する責任」そんな仕事・職場をあえて選んでしまう自分・・・。

なんでや!

 

若いときは「それ当然!やりがい!(その言葉ヤメロ)」と思っていました。

しかし、年を取るにつれ「奴隷なのか」「しんどすぎ」とじわじわ思うようになりました。

もう、泣くほど仕事したくない。

 

しかし、まあ、そうやってがむしゃらに仕事をすることで、ようやく無能な自分が許されるような気がしていたのかなー。

(誰に許される必要があるというのだ!悪いこともしていないのに!)

知識の鎧で、「文句は言わせない!」と日々削られるプライドを保っていたところもあるような気がするなー。

(無能なのにプライド高くて、かわいそう!)

 

今無職。所属なし、肩書なし、責任なし。ほんと自由で身軽。

稼ぐ力もないですし、努力するタイプでもなかったですよ~~。

(まあまあ努力するタイプだと思っていました、笑)

それでも、コーヒーおいしいし、よく寝てるし、アンタあわせ者だよ。

 

「無能でいいじゃーん、おいしいコーヒー飲めよ」と思えなかったあの頃。

今、仕事についたら「いいじゃーん」と思えるかしら。

それとも、またキリキリと持ち帰り仕事をするのだろうか。

コレに「いいじゃーん」と言ってほしい

 

 

今のところ、無能な自分と対峙する必要もなく心穏やか。

そりゃー無職やめられんわけだわ。

 

果たして自分を受け入れ、「軽く仕事でもしよっかな」と思える日は来るのでしょうか。

(近々来ないと、たいへんマズい、マズいよね?・・・)