ながされて無職

無職になった50代女性一人暮らし。ずっと働かないわけじゃない。

今年初【特別費】出費は、「辞めた仕事への未練」だった

先日、部屋のガス点検がありました。

ガス会社の職員さんが玄関脇とベランダのガス関連機器の点検をしてくれました。

 

大変だなー。人の部屋に入る仕事だもんね。いろんな人いるもんね。

結果の説明などを聞きながら考えたよ。

ガス会社って化学とか得意な理系の人が、技術開発・管理なんかしているイメージだけど、実際の仕事は営業とか顧客対応なんかも多いもんね。

この人、今サービス業ど真ん中だけど、希望部署に配属されたのかしら。いやなこともあるんだろうな。仕事ちゃんとやっててすごいよなあ。

 

帰った後、アンケートはがきに(「挨拶」「説明のわかりやすさ」など)、全て「良い」に〇をつけて出しましたヨ。

 

宝くじが当たったら、仕事辞めますか

先日ある方のブログを読んでいて「もし宝くじがあたっても仕事は辞めない」と書いてあるのをみて、驚きたまげたよ。

はあー、そんな人もいるんだねえ。さらに驚いたのはコメント欄に似た意見が数多みられたこと。ええっ?あなた方、正気かい?あたしだったら今日にでも辞めてるよ!(一年前に辞めている)。

 

 そして、ふと思い出したのだ。自分も以前そう考えていた時期があったという、恐ろしい事実を。それもまあまあの期間ずっと。

「仕事して、お金もらって、ちょっと役に立って、たまに感謝なんかもされちゃったりして。仕事しててよかった。こういう生活が自分にとっていいんだろうな」

何が恐ろしいかって、その時は「確か」だと感じていた価値観のようなものが、こうも簡単に変わってしまったことなのであった。

 

「仕事もうしたくない・・・」

 

私はサービス業に従事していました。日々人へサービスを提供し、それが良い形となることに「やりがいと手ごたえ」(この言葉イヤー!なんか自分に暗示をかけている気がする。そしてものすごく恥ずかしい)を感じていました。

あれ?おかしいな、と思ったのが、45歳くらいから。気が乗らない。気が沈む。やりたくない。

そのうちどうしようも我慢できなくなって仕事を辞める。生活に困り再就職。また辞める。次第に仕事が続くスパンが短くなるのだ。「辞めちゃいかん、辞めちゃいかん」と思うものの、そんな理性をねじ伏せてくるあの感情の圧。

 

前回辞めたときは、毎日泣くほどいやでした(いい年なのに)。

朝が来ると心底がっかりする。体もだるくてたまらない。こんなんで人にサービスしている場合なのか、自分がサービスしてほしいわ。重い体を引きずり絶望して会社に向かう。なんでこんないやなのに行くのだろう。奴隷なのか。

 

一番困ったのが仕事中のメンタル。サービス業なので人にサービスするのだが、それがいやでたまらないのだ。

「いい加減にしてよ!この〇〇〇!偉そうにしてんじゃないよ!こっちはあんたの奴隷じゃない!」などと心のうちで悪態を常についている状態なのだ。相手がクレーマーなどでは全くない。相手の行動いかんに関わらず「私が常に」悪態をついている状態なのだ。

はい、サイテー。

 

そもそもその仕事を選んだのは自分。意義のある仕事だよ(意義のない仕事はない)。以前は、同じ状況で「いいですよ、いいですよ!私が引き受けましょうぞ!」くらいの勢いでした。奴隷などという感覚はまるでなかったのだ。

なのに、今、サイテーなメンタルで仕事をしているのはなぜなのか。それきっと、相手に伝わっていたと思うよ。本当にごめんなさい。

 

会社も良かったのですよ。特に上司ができた人でした。自分よりかなり年若いにもかかわらず、誰に対してもフラットで初めから信頼して関わるという、ものすごいことができる人でした。こちらが動きやすいようにサポートまでしてくれましたよ。

ああ、こんな良い環境でも辞めた私。この先仕事できるかな(しょんぼり)。また「奴隷」であることに我慢ならなくなって辞めちゃうのかな。

 

2021年2月【特別費】 仕事費 16000円

  • 講座受講料   6000円
  • 資格更新料  10000円

今年初の特別費がこれ。無職の16000円は大きい。ひと月の食費を楽に超えるよ。

それに、仕事していないのに「仕事費」って、アンタ・・・。

 

あまりにもうつろいやすい、仕事への思い

そうなんです。これ、仕事に関する資格の費用なのです。

5年ごとに更新。それまでに講座を数回受講し一定の単位をとることで更新資格が与えられるというシステム。その5年目の更新締め切りが今年の3月なのですよ。

 

私は何度か会社を辞めているのですが、仕事の内容は同じでした。

直近の会社を辞めたときは「もうこの仕事しないだろうな」と思いました。それで仕事に関する本などもほとんど捨てて小さな部屋に引っ越したわけです。

この資格も更新せずにおこう、失効していいやと思っていたのです。

 

でも本当はずっと迷っていたのですよ。

「せっかくとったのに」「もしかしたら、本当にもしかしたらこの仕事またやるかも」と。

資格を取ったときのこともよみがえる。家では寝てしまうからファミレスで勉強したな。筆記試験やら集団面接やらいろいろあって、泊りがけで行ったっけ。今からじゃ、もう二度と取れないよね。

 

結局、1月に入りてあわてて足りない単位分の講座を受講しました(Web配信に変更されていたので間に合った)。そして、更新書類をそろえて郵送しました。未練。

とりあえずこの先の可能性だけは残しておこうと思いました。可能性を完全に断つよりは、わずかに「自由」の幅を取っておけたかなと今は少しほっとしています。

16000円でほんの少し今後の「自由」を手に入れた感じです。

 

きっぱりと前の仕事を切ることはなかなか難しい。

自分の仕事への気持ちや捉え方が、あまりにも容易に変化するので、恐ろしさがあるのですよ。「今の自分がどう変わるか分からない」「どんな感情が出てくるかわからない」

となると逆に、もしかして今はこんなに働きたくないけれど、これから変わることもあるのか(もう一年も経つのに)。

 

世の中にはそれでも40年くらいも一つの仕事をやり続ける、一つの会社に勤め続ける人もいるわけで、その時々の苦しみや喜びと向き合って続けていることを想像すると、自分の軸のなさとわがままさにがっかり。

しかし、そうなったものは仕方がない。付き合っていくしかないのだ。(切り替えはまあまあ早い。だから続かない)。

 

 

世の働く皆さんに心からの敬意を表します。